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【書評】山月記

書評一発目にはファインマンを書こうかと思ったのだが,つい最近山月記を読んで色々と思うところがあったので,最初に書くことにした.

 

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

 

 山月記中島敦の代表作で高校の教科書にも載っている.知らない人のほうが少ないと思う.唐代の小説『人虎伝』を典拠とし,中島が独自の解釈を加えたものとなっている.青空文庫で5分くらいで読めますが,販売されているものは注釈があるのでよりわかりやすいと思います.

以下,大まかなあらすじ.

 

李徴は勉学に優れ,若くして科挙の合格し地方役人に任命される.しかし,非常に高慢な李徴は下級役人の位を良しとせず,直に退官し,人との交流を絶って詩作に没頭する.しかし,名は全く揚らず,貧窮に堪えられなくなり,妻子の衣食のために再び地方役人の職に就く.そこでは,かつて見下していた同輩に従わねばならず,李徴の自尊心は大きく傷ついた.ついには発狂し,李徴は行方知らずとなった.

同じく役人で李徴の数少ない友人の袁惨は公務で旅の途中,人喰虎のでるという道を通り,一匹の虎と出会う.その虎こそが李徴その人であった.李徴は,袁惨に虎となった経緯や徐々に理性が失われてゆく恐怖を語る.そして,人としての心が残っているうちに自作の詩を記録するように頼んだ.

李徴は虎となった原因を「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」のためであると推察する.

自らの境遇を自嘲する李徴は,袁惨に妻子のことを頼み,その場をさる.

 

さて,この話の肝はなんと言っても,李徴を虎たらしめた「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」であろう.

李徴はこの二つの言葉について以下のように語る.

人間であった時、己は努めて人との交りを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

この言葉こそ,研究者の道を志す者たちへの警句なのではないかと,改めて思った.

博士課程に進学すると,同輩とは異なるのだと常々思う.同期は社会に出て,様々な交わりを持つ中で,己は一人研鑽を積むと言いいつつも,研究とは名ばかりで,奇しくも臆病な自尊心を飼い太らせているだけではないのか.

気付けば,嘗ての友人たちとの交流は減った.皆社会人として忙しいからと思い込んではいるが,尊大な羞恥心のために交を絶っているだけではないのか.

李徴はこうも言う.

己の珠に非ざることを惧れるが故ゆえに、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。

 

今読み返すと,おれ,李徴かも!?と身につまされる気がして,なぜ教科書に載っているのかなんとなくわかった気がした.でも高校生がわかるのか...?